1996年
天気に恵まれず中止。
1995年
南ア・北岳 (1995年8月13日〜15日)
3年間のブランクが出来てしまいましたので、先ずは北岳にご挨拶です。いつもの「あずさ81号」で甲府に行き、タクシー相乗りで広河原に着きました。ガスがかかっていますが、天気は持ちそうです。カゼぎみなのでペースはかなりダウンしました。白根御池小屋では寝具持参の素泊まり料金というのを廃止したとかで、全て寝具込みの料金となりました。そのせいで新しい建物に泊まれたのですが、蒲団の上にシュラフを広げて寝ました。夜は非常に暑くて前回とは大違いです。
一晩寝たら体調は良好、天気も良好です。草すべりを登り、森林限界から上は写真を撮りながら、のんびりと北岳肩の小屋まで行きました。肩の小屋には甲斐犬いて登山者を迎えてくれたのですが、この年は犬がいなくなっており、ちょっと寂しいです。
北岳山頂を経て東南斜面に至る道でキタダケキンポウゲが季節はずれに咲いているのを見つけました。ムカゴユキノシタやタカネマンテマも結構咲いています。東南斜面を下り、捲き道に出、登山道周辺の花を撮りながら、ゆっくりと北岳山荘着きました。北岳を下るころからガスり出し、午後は一時雨がパラつきました。
北岳山荘のシュラフ部屋は意外に空いていて、この季節に片側に頭を並べてゆっくり寝られたのは初めての経験です。但し、蒲団部屋は4人で1つの蒲団に寝かされていますので、やっぱりシュラフの持参が勝ちです。
御来光を撮ってから北岳山荘を出発しました。捲き道を、写真を撮りながら八本歯コルに向かいました。キタダケトリカブト、キタダケヨモギ、タカネヒランジが花期まであと少しといったところです。お花畑の主役は、ハハコヨモギ、キンロバイ、チシマギキョウ、タカネナデシコ、イブキジャコウソウ、タカネナデシコ等でした。
大樺沢の雪渓はこの年は例年に比べて少なく、3年前(1992年)とは大違いです。暑くて下山ペースは上がらず、水ばかり飲みました。
1993〜1994年
93年は天候に恵まれず中止。94年は会社の人事異動の影響で中止。
1992年
南ア・北岳 (1992年8月11日〜13日)
昨年の仙丈岳に懲りたわけでもないのですが、花ならやはり北岳ということで、いつもの「あずさ81号」で、お盆の北岳に登ることにしました。甲府駅に降りると丁度タクシーの運転手に声を掛けられ、5人の相乗りで広河原に向かいました。ところが、この中に準備の悪い人がいて、腕時計の電池が切れたと言うので、途中で時計屋を探して電池交換してもらうハメになりました。田舎の時計屋のせいか随分と手間取り、北沢峠方面に行く人はイライラしていました。おかげでバスと大差ない時間に広河原に着きました。
今回も天気は良くありませんので、白根御池小屋に泊まることにしました。小屋の母屋は昨年新築したとかで、モダンな三角屋根の真新しい建物になっていました。ところが寝具持参の素泊まり客は裏の古い避難小屋に泊まらされました。その日は午後から雨になり、夜の間は激しく降りました。避難小屋は宿泊者が少なく非常に冷え込んだので、セーターはもとより雨合羽まで着込む程でした。
日が出ていたのは、朝の1時間ほどでした。小太郎尾根に出ると仙丈岳方面からの風が強く、肩の小屋を出る頃には雨になりました。この年は秋の花が遅いようで、トウヤクリンドウは蕾もつけていないし、タカネマンテマはやっと1株だけ花をつけているのを見つけただけでした。天気が悪いので北岳山荘に早く着く為には尾根筋の道の方が近いのですが、仙丈岳方面からの強い風を避ける為に、東南斜面を一旦下り、捲き道を辿ったのですが、東南斜面から吹き上げる谷風もかなりのものでした。北岳山荘に着く直前から激しい雨になり、雨に追われるように北岳山荘に到着しました。
午後には、一時雨もあがったのですが、夕方から夜にかけては再び激しい風雨になりました。
この年は太平洋高気圧が弱く、本州南岸に掛かった前線を押し上げきれない為で、おまけに台風11号も接近していました。北岳山荘に逗留しても天気が回復しそうもないので下山することにしました。
東南からの風が強い中、八本歯コルを目指したのですが悪天候の為ペースは上がりません。八本歯コルから大樺沢に下り始めると、流石に風は弱くなりました。この年は大樺沢の残雪が多く、この季節でも登山道は雪渓に覆われていました。残雪が多いので落石事故が多いらしく、2日前にも大きな落石事故があったとのことです。この為、大樺沢の対岸に迂回の登山道が設けられているほどでした。
1991年
南ア・仙丈岳 (1991年8月14日〜15日)
北岳を裏から見てこようと思い、仙丈岳に登ることにしました。「あずさ81号」でも良いのですが、今回は前夜泊して甲府6:00の広河原行きのバスに乗りました。芦安村村営バスに乗り継いで、北沢峠に着いたのは9時20分頃でした。
藪沢小屋を経由して馬ノ背ヒュッテに着いたのは12時です。あと1時間程度で仙丈小屋に着くのですが避難小屋なので、こちらの小屋の方が設備は良いだろうと思ったのですが、寝具持参者は早着にもかかわらず食事を後回しにされるなど待遇の悪さはひどいものでした。
翌日は快晴です。同じ南アルプスなのですが、北岳に比べると花の量も種類も少ないです。仙丈小屋からの甲斐駒ヶ岳の眺めは素晴らしいです。左手は藪沢カールで、カールの縁を廻るように仙丈岳に向かうのですが、カール内の斜面にも花は少ないようです。仙丈岳からは、雲海の上に北アルプス,中央アルプス,八ヶ岳,富士山などが見渡せました。仙丈岳から見る北岳は意外と迫力に乏しく、八本歯コルなどから見る荒々しいバットレスの方が北岳らしいと思いました。
小仙丈岳で休んでいるうちにガスが出始め瞬く間に眺望が利かなくなりました。花も景色もダメになったので、下山速度は速くなり、10時半には北沢峠に下りてしまいました。そんなわけで、今回の収穫はキタザワブシの写真だけとなりました。
尾瀬 (1991年6月1日、夜行日帰り)
会社の写真サークルの仲間3人とでミズバショウを見に行くことになりました。浜松町から尾瀬行きの夜行バスに乗り、大清水に着いたのは朝の4時でした。
三平峠には結構雪が残っていました。尾瀬沼山荘前で朝食を取り、これから尾瀬沼の一週です。
ミズバショウは咲き始めの頃ですが、小屋や木道周辺のミズバショウは富栄養化の為に巨大化していました。本来ならば、白い仏炎苞の大きさは大きくても掌大ですが、小屋近くのものはA4サイズに近いものもあります。 まるでコピー用紙を撒き散らしたように咲いている様は、ゾッとするものがあります。小ぶりのミズバショウを探すのに苦労をする程です。
尾瀬沼山荘〜長蔵小屋〜沼尻〜尾瀬沼山荘と尾瀬沼を一周したのですが、沼尻付近のミズバショウ方が巨大化の影響は少ないようです。リュウキンカ、タテヤマリンドウ、ショウジョウバカマなどがやっと咲き出した状態でした。
尾瀬沼山荘前で今度は昼食を取り、再び三平峠を越えて大清水に戻りました。
今回はリングストロボの発光体を忘れたり、途中でアクセサリーシューの接点がおかしくなるなど散々でした。ミズバショウのシーズンには少し早かったのですが、行きのバスの乗客数は20名弱で帰りは僅か7名でした。採算が合うのでしょうか。
1990年
八ヶ岳縦走 (1990年7月28日〜30日)
八ヶ岳と南アルプスの花は共通する花が結構咲いているのですが、ツクモグサやウルップソウとなると八ヶ岳に登らねばなりません。今回はいつもの「あずさ81号」で茅野まで乗車です。茅野駅からバスで渋の湯に着きました。今日の宿となる黒百合ヒュッテのある黒百合平までは2時間の道程です。小屋には天狗岳に登る40名ほどの団体客がいて、うるさい上に食事などが後回しにされるわで大迷惑でした。
カゼをひいたのか朝起きると体が少しダルいです。僅か5分で中山峠に着き、ここから東天狗岳〜硫黄岳〜横岳〜赤岳〜権現岳〜編笠山と縦走します。中山峠から1時間で東天狗岳です。西天狗岳が天狗岳の山頂ですが縦走路から離れているのでパスです。
晴れていた天気もこの頃から曇りだしました。根石岳を過ぎた頃からコマクサが現れ始めましたが、殆どの花は傷んでいました。箕冠山を過ぎ、夏沢峠を越えていよいよ硫黄岳への登りです。この頃からガスがひどくなりました。硫黄岳山頂はコマクサが多く、ここでシロバナコマクサを見ることが出来ました。
鎖場や梯子場を何ヶ所か渡って横岳(奥ノ院)に到着しました。コマクサは結構咲いているのですが、相変わらず花の痛みが目立ちました。赤岳との鞍部に下り、いよいよ赤岳への登りとなります。急な上に疲れも溜まっているので辛い登りとなりました。その晩は赤岳山頂小屋に泊まりました。
翌日は激しいガスで御来光は拝めませんでした。赤岳キレットは険しく、予定以上の時間をかけてゆっくり下りました。下ってから改めて赤岳を見上げると、逆コースにしなくて良かったと、つくづく思いました。キレット小屋は閉鎖中でした。権現岳への登りも結構きついものです。青年小屋に下り、編笠山を越えて長い樹林帯を観音平に下りました。
コマクサは多かったのですが、花期を若干過ぎていて痛みがひどく写真になるものは少なかったです。期待していたウルップソウやタカネスミレは完全に花期を過ぎており枯れ花状態でしたし、これらの花より花期が更に早いツクモグサなどは、全く見かけることはありませんでした。南アルプスに比べると全般的に植物の種類は少ないように感じました。又、天候も降られなかったもののガスや曇り状態だったので富士山や南アルプスなどの眺望も望めませんでした。
南ア・北岳 (1990年6月17日)
久しぶりにキタダケソウに逢いたくなりました。この時期は、山小屋はまだ営業していませんから、前夜泊日帰りです。甲府駅を4:00に出る広河原行きバスの乗客は僅かに6名です。前回の経験から樹林帯と草すべり経由です。幸い天気にも恵まれて6時から登り始めました。白根お池は草すべり下部まで雪に覆われていました。後で聞いた話ではこの年が普通で前回の82年は異常に雪の少ない年だったらしいです。
草すべり自体は雪で覆われていますが登山道には雪はなく森林限界まで快調に飛ばしました。ここから小太郎尾根までの間は夏山の頃ならば素晴らしいお花畑なのですが、深い雪田となっており雪田を4回ほど横断しました。肩の小屋、北岳山頂を経て東南斜面上部に着いたのは12時過ぎでした。
この年は6月初旬に大雪が降ったとかで、キタダケソウの花は結構傷んでいました。今回キタダケソウが見たくなった最大の理由は、何かの雑誌で八重咲きのキタダケソウの写真を見たからで、自らの目でも確かめたくなったからでした。しかしながら幾ら探しても八重咲きのものは見つかりませんでした。
40分ほど撮影したら、もう帰路につかなくてはなりません。再び北岳山頂を越えて肩の小屋に着きました。前回は夏山の営業準備の為に小屋の人が居たのですが今回は無人です。勿論、避難用の小屋は使えるのですが、雪を溶かして水作りから食事の準備をしなくてはならないので、カロリーメイトを食べただけで一気に下山しました。広河原に着いたのは、17時15分で11時間以上の山旅は流石に疲れました。
この日バスで一緒だった6名のうち2名は北沢峠を目指し、1名は広河原ロッジの客、2名は大樺沢を登ると言っていました。登山中も下山中も誰一人とも出会わなかったので、この日に草すべりから北岳に登ったのは私一人きりだったのかもしれません。
その晩は広河原ロッジに泊まったのですが、翌日もこの季節にしては珍しく晴天でしたので、肩の小屋で一泊しても良かったかなと思いました。
1989年
八幡平 (1989年8月4日〜5日)
山行と言えるのかわかりませんが、八幡平は一応日本100名山の一座です。入社10年目の休暇に妻と八幡平に行きました。盛岡バスセンターから2時間ほどで八幡平に着きます。八幡平の山頂や八幡沼周辺などを散策しましたが、ニッコウキスゲが丁度花盛りでした。晴れてはいるのですが、雲が多く早池峰山や秋田駒ヶ岳は見ることが出来ませんでした。
バスで秋田県側の大沼に出ました。大沼を周辺はサワギキョウやミズギクが盛りでした。
1988年
南ア・北岳 (1988年9月3日〜4日)
8月に北岳の花を堪能したばかりなのですが、北岳の花の撮影を始めると秋の花も撮りたくなります。ヒメセンブリやサンプクリンドウを見るとなると9月初めに登らねばなりません。今回も天気は下り坂です。いつもの「あずさ81号」で甲府に行き、今回はタクシー相乗で広河原に着きました。到着時間が早かったので、一気に北岳肩の小屋を目指すことにしました。頑張ったせいもあって1時間50分で白根御池小屋に到着しました。(この時の所用時間は自己ベスト記録)
御池小屋で休んでいると雨になりました。やがて激しい雷雨となったので、折角頑張ったのですが今回も御池小屋に泊まることにしました。タクシーに相乗りした人達は、雷雨の中を肩の小屋を目指したようです。2時間ほどすると雷は遠のき雨も小降りになってきたので、肩の小屋に行かなかったのをちょっぴり後悔しました。
流石に9月となると夜は寒くて良く眠れませんでした。小屋に泊まった人も先月に比べるとずっと少なくなっています。夜明けが遅くなっているので、小屋の朝食時間も遅くなり出発時間も遅れたので、草すべりの花には目もくれずに肩の小屋に着きました。尤も多くの花は花期が終わりカメラを向ける気にもなりませんでした。天気は曇りでしたが、北岳山頂に着く頃からガスり出しました。
目的の花を見る為に早々に東南斜面に下りました。東南斜面に着く頃にはガスが濃くなりました。東南斜面には今回の目的のサンプクリンドウ、アカイシリンドウが結構咲いています。白花のサンプクリンドウは結構多いです。しかしながら、ヒメセンブリは殆ど見かけることはなく、一日探して僅か2株を見ただけでした。
八本歯コルに出て大樺沢を下りました。大樺沢を下る頃にはガスが更に濃くなり登山道から横の雪渓が見えない程の視界で、雨もポツポツしてきました。大樺沢ではヒメシャジンが盛りでした。
南ア・北岳 (1988年8月4日〜6日)
昨年、北岳捲き道の花を撮り損ねたので、今回は再挑戦です。この年は梅雨明けが遅く7月31日に関東地区の梅雨が明けました。今回は単独行なので横浜線経由で八王子から件の「あずさ81号」に乗りました。梅雨明け直後は、普通は天気が良いのですが、天気が良くないので樹林帯のコースで白根御池小屋を目指しました。途中の森林の中でニホンカモシカに突然出くわしたのにはビックリしました。予想通り途中から雨になりました。終日雨で、時々雲の切れ間に鳳凰三山が見えるのですが、御池小屋に籠もったままどこにも出られませんでした。
雨は夜半にはあがり激しい風です。天気は快晴で、草すべりを登りました。森林限界を出た頃まではピーカンの天気も小太郎尾根に着く頃にはガスり始めました。暫くすると天気は急変し、激しい風雨になりました。カメラを仕舞い急いで北岳肩の小屋を目指しました。肩の小屋で休み、少し気を取り直してから山頂を目指しました。雨なので、尾根筋の道を北岳山荘に向かいました。北岳山荘に着く直前から雨だけは収まりましたが、なんとも恨めしい天気になってしまいました。
今日は天気が良さそうです。北岳山荘を出発し、捲き道の周辺に咲く花を撮りながら東南斜面まで進みました。キタダケトリカブト、キタダケヨモギ、タカネコウリンカ、キンロバイなどがゴッソリと咲いて素晴らしいお花畑を堪能することが出来ました。東南斜面を登り、昨日に続き再度北岳山頂に立ちました。山頂からの下山コースは昨年と同様、右俣コースを下りました。草すべりよりは、右俣の方が花は多いと思います。
1987年
南ア・北岳 (1987年8月7日〜9日)
病気をしたりして4年のブランクが出来てしまい久しぶりの山行です。会社の同僚のAさんと南武線の駅で待ち合わせ、立川から臨時特急「あずさ81号」に乗りました。
山の話とは全く関係ないのですが、当時の「あずさ81号」は新宿6:40発で、昭和40年(1965年)に中央本線に初めて特急が登場したときの「あずさ1号」のダイヤを使った臨時列車です。特急列車の大増発時代になってから、「あずさ」の新宿駅発車時刻は毎時00分発になったのですが、新宿6:40発のダイヤは臨時特急用としてずっと残されていたのです。そしてこの電車は、その後私が南アルプスに行く時に毎回お世話になる電車にもなりました。
因みに当時のダイヤは、新宿6:40 → 立川7:03 → 八王子7:13 → 甲府8:17でした。
甲府駅を9:00に出る山梨交通のバスは、約2時間で広河原に到着です。広河原に着くのが11時前後ですから、当日は白根御池小屋泊まりとなります。
大樺沢を登り、二俣から白根お池にトラバースして1日目が終わりました。この日は天気が悪く終日ガスっていましたが、天気はなんとか持ちました。
夜半に雨と強風で目を覚ましました。朝には雨はあがったのですが、風が強いので出発を遅らせました。
八本歯コルには9時頃着いたのですが、この頃から比較的良かった天気が急変しガスと強風になり、雨が降り始めたのでカメラを仕舞いました。
北岳山頂には行かずに、捲き道を通って北岳山荘に向かいましたが、この道中は大変素晴らしいお花畑だったので、非常に残念な思いでした。午後になると天気も回復してきました。
北岳山荘は大変な混雑で、殆ど眠れませんでした。気温9℃の中、4時半に北岳山荘を出発し、北岳を目指します。尾根筋の道は写真向きの花が少なく、返す返すも昨日の捲き道が恨めしい。山頂までの途中で御来光を迎えましたが雲海に浮かぶ富士山が印象的でした。今日は天気も良く山頂からの展望も素晴らしいものでした。北岳肩の小屋を経て小太郎尾根からは草すべりではなく右俣コースを下り、大樺沢の二俣から広河原に下山しました。
1984〜1986年
この頃は、山はお休み。
1983年
尾瀬・至仏山 (1983年6月10日〜12日)
学生時代の友人のSさんは今では福島県の公僕様。そのSさんが会津近くのお役所に赴任したので、尾瀬に来ないかとのお誘いがありました。
SさんとSさんの役所の同僚のお二人に新幹線の郡山駅まで車で迎えに来てもらい、沼山峠についたのは日付も変わった深夜の零時半頃。車の中で仮眠を取り、6時頃から歩き出しました。長蔵小屋には1時間ほどで到着。尾瀬沼を眺めながら沼尻へ出て、しばし休息。ミズバショウはもう季節を過ぎており、大きな葉っぱが成育中といったところでした。
白砂乗越を経て尾瀬ヶ原の東端の見晴十字路に到着したのはお昼少し前。山小屋が多数あるせいか、山小屋の住人の為に選挙用のポスター掲示板まであったのには驚きました。見晴十字路で昼食を取り、午後は尾瀬ヶ原を歩いて2時過ぎには山ノ鼻につきました。尾瀬は福島・群馬・新潟の県境が接しているのですが、今回のコースですと福島県から群馬県に入ったことになります。確かに尾瀬ヶ原の途中から木道の整備状態が悪くなり、同行していた福島県の公僕様は行政の差を盛んに強調しておりました。その晩は、山ノ鼻小屋に泊まりました。
翌日は、二人と別れて単独行動です。二人は尾瀬ヶ原を戻り沼山峠に帰って行きます。私はこれから至仏山に挑戦です。6時半に小屋を出て1時間程で森林限界に到着しました。ユキワリソウの季節で多くの株を見かけることが出来ました。蛇紋岩の巨石がゴロゴロ転がる険しい山道を更に2時間ほど可愛がってもらって9時半頃やっと山頂に到着しました。途中の高天ヶ原で、ホソバヒナウスユキソウを見かけました。小さなウスユキソウで、季節が少し早かったので茎も伸びきっていない状態でしたが、見ることが出来たのは幸運でした。
山頂で早めの昼食を取り、鳩待峠に下りてきたのは丁度12時でした。
1982年
大雪山縦走 (1982年7月18日〜20日)
高山植物に興味を持つと行ってみたくなるのが大雪山です。先月キタダケソウを見てきたばかりなのに、北海道に出かけることにしました。この年から羽田・旭川間にジェット機が就航したのですが、そんなことは知らずに札幌経由で旭川に入り、層雲峡に泊まりました。
発達した低気圧が通過し、翌日(18日)は激しい風雨でした。とりあえず黒岳まで行くことにしました。ロープウェイとリフトを乗り継いで黒岳へ登りました。黒岳の小屋でくすぶっているとようやく天気が回復してきました。予定では白雲岳の小屋まで行きたかったのですが、時間も遅くなったのでここに泊まることにして、桂月山などに登っていました。
翌日は3時起きして食事を作り、昨日の遅れを取り返すべく4時には小屋を出ました。
明るくなってくると素晴らしいお花畑の中を歩いていました。北海岳を過ぎて暫くするとキバナシオガマを見ることが出来ました。
白雲岳には登らず横を通過し白雲岳避難小屋に着いたには7時半でした。昨日ここまで来ていたら今日は随分楽が出来たのに。
ここで、エゾノリュウキンカの葉で休息しているアサヒヒョウモンを撮ることが出来ました。
スレート平を経て高根ヶ原に入りました。今回は花を見ることは別に蝶を見るのも目的です。そこでレンズを望遠系のマクロ135mmに交換しました。高根ヶ原はコマクサが多く、丁度羽化時期を迎えたウスバキチョウの生息地域でもあります。コマクサの個体数は多いのですが、ウスバキチョウは見かけません。高根ヶ原も過ぎようとしたので諦めてレンズをマクロ50mmに戻して暫く歩いたら、目の前のコマクサの株にウスバキチョウが止まっていました。しかしマクロ50mmでは小さすぎます。近づくと逃げられてしまいました。重い荷物を担いだままコマクサを踏まないように気を遣いながら追いかけましたが、写真に撮ることは出来ませんでした。
平ヶ岳は気が付かないうちに通り越し、道は忠別沼に一旦下り再び忠別岳への登りとなりました。この頃になると、昨日前線の通過の影響なのか積乱雲が出来はじめていました。こんなところで雷に遭いたくないので、急いで忠別岳を登りました。休みも取らずに忠別岳を下り、12時には忠別岳避難小屋に到着しました。休まず歩いてきたので暫くは何もする気にもなく寝ころんでいました。小屋は雪渓の傍に立っていました。暫くして食事を済ませ、周囲を出歩きました。雪渓は雪が多く板きれが見つかったので、これを使ってソリ遊びをしていました。夕方になっても心配した雷は発生せず。穏やかな夕暮れです。夕食を作っているとキタキツネがやってきました。人慣れしたキツネで食べるものをねだっているようでした。この日は平ヶ岳付近でも見かけたのですが、こちらはシマリスか何かの小動物をくわえてハイマツの茂みから飛び出してきて、私を見かけると再びハイマツの茂みに姿を消したのですが、小屋付近に住んでいるキツネは軟弱なようです。しかも冬毛が変わる季節なのか、抜け毛がひどくて薄汚い姿でした。
その晩は、忠別岳避難小屋に泊まった人達と話が弾み楽しい一夜でした。
翌日も3時起きして食事を済ませ五色岳を目指して出発しました。五色岳には1時間ほどで着き、山頂に荷物を置いて身軽になって、五色ヶ原に下りました。ここは一面のハクサンイチゲの大群落です。その向こうにトムラウシ山があるのですが、まるで花平線に浮かぶ島のようです。しばし、その迫力に見とれていました。場所によってはエゾコザクラの大群落も見られました。再び五色岳に戻り化雲岳を目指しました。ハイマツ帯なのですが、風が当たらないせいかハイマツが背丈ほどまで伸び松林を歩いているような感じです。化雲平では大株のホソバウルップソウが印象的でした。化雲岳には化雲のヘソと呼ばれる大岩があります。だあれもいないので、カメラを石の上に載せてセルフタイマーで記念撮影をしました。小化雲岳へ途中で昼食を作り早いお昼です。というのも今日も大気が不安定で積乱雲が出来はじめていたので、午後雨になると思ったからです。この辺ではチングルマの群落が見事です。小化雲岳周辺はハイマツの間に踏み跡のような道が幾つもあり道標もないので悪天候ならば迷い易い場所です。幸い晴れて旭岳が良く見えたので方角を間違えないで済みました。だらだらした下りを第一公園まで下りて来ると今度はワタスゲを中心とした群落でした。やがて森林限界に入ったところから雨になりました。心配していた雷です。しかも激しい雷鳴と共に直径1cmはある大粒の雹まで降ってきました。大きな木を避け、茂みの中で小さくなっていましたが雹が当たって痛いこと。つくづく森林限界まで下っていて良かったと思いました。雷は忠別川に沿って移動しているようでした。30分ほど雨宿りしていると雷がだいぶ遠くなったので、再び歩き始めました。しばらく歩くと先ほど落雷したのか裂けたばかりの木があり、この辺で雨宿りしなくて良かったと思いました。さらに歩いてようやく天人峡に到着しました。
南ア・北岳 (1982年6月11日〜12日)
昨年の北岳のお花畑の感動はたいへんなもので、ついに北岳最大の固有種であるキタダケソウを見に行くことにしました。今回は初めてのひとり旅です。梅雨の最中でしたが、梅雨前線が南下した梅雨の晴れ間を狙いました。幸運にもキタダケソウも花期のようです。この季節に登る人はいないらしく広河原でも私一人しか登山者はいませんでした。大樺沢の雪渓まで来て驚きました。雪の量が昨年とは大違いで、沢は完全に雪で埋まっていました。昨年は8月だったのですが今回は6月なのであたりまえなのです。
大樺沢を二俣まで登ったのですがアイゼンもピッケルも持って来なかったのでこれ以上登ることは危険です。そこで、二俣から白根御池小屋までトラバースして、草すべりコースを登ることにしました。日当たりの良い草すべりは殆ど雪がありませんでした。森林限界の上の草地が雪田となっていました。雪田の雪は結構多かったのですが歩き易く難なく稜線に到達しました。北岳肩の小屋を経て北岳山頂に到達しましたが、ここにも人っ子一人いません。休憩もそこそこに吊尾根分岐点に下りました。分岐点を東南斜面に少し下るとそこには一面のキタダケソウの大群落が広がっていました。だあれもいないお花畑でタップリとキタダケソウを写すことが出来ました。帰る頃になって、一人やってきました。その人もキタダケソウの大群落には驚いたようでした。
帰る為に再度北岳山頂を目指しましたが、疲れていたせいもあって、この登りは辛いものでした。山頂の岩場にカメラを据えてセルフタイマーによる記念写真を撮りました。北岳肩の小屋についたのは4時頃でこれから下山するのも暗くなって危険なので肩の小屋に泊まることにしました。この時期だと登山シーズン前なので小屋は営業していません。本来ならば避難小屋に泊まるのですが、たまたま営業準備の為に小屋の人が泊まっており大きい小屋の方に泊めてもらいましたが、食事はなしとのことなので自炊しました。
その晩は、前線が北上してきたのか激しい雷雨となりました。初めて見る3,000m級の雷で、稲妻が水平に走るのに驚きました。所謂水平落撃です。登山中にこんな雷にあったら、ひとたまりもないなあと思いました。
翌朝は、雨はあがったものの非常に強い風です。もう雷に遭いたくないので、強風の中を転がるように草すべりを下り、休み無しに広河原まで歩き続けました。
1981年
南ア・白峰三山縦走 (1981年8月13日〜14日)
今回もYさんと一緒にお盆休みを利用して南アルプスの縦走に挑戦しました。
広河原から入り大樺沢の雪渓を登る予定だったのですが、道を間違えて樹林帯を経て白根御池小屋に至る道を進んでしまいました。御池小屋から二俣に出て、大樺沢を登り八本歯コルから北岳に登りました。北岳東南斜面などの北岳のお花畑の素晴らしさに魅了されました。
特にその種類の多さには圧倒されました。
その晩は北岳山荘に泊まり、翌日は中白峰〜間ノ岳〜西農鳥岳〜農鳥岳と縦走しましたが、縦走路も花いっぱいの素晴らしいコースでした。
大門沢を下り始めた頃から雨になりました。雷も鳴り出したので急いで下りました。大門沢小屋にもう一泊する予定だったのですが、小屋で雨に閉じこめられてもつまらないので、そのまま奈良田まで下山することにしました。雨の中を歩いても歩いても奈良田には着かず、道程の長かったこと。
下山しながらも脳裏に浮かぶのは、今回のきつかった登りのことよりも来年こそは北岳最大の固有種であるキタダケソウを見に来ようということばかりでした。
早池峰山 (1981年7月24日)
今まで野の花を写していた私がついにその対象を高山植物まで考えるようになりました。高山植物ならばエーデルワイスだという安直な思い込みから、初めての山は岩手の早池峰山に決めてしまいました。
といっても今まで運動らしいことはしてこなかったし、山になんか登れるのかが不安です。というわけで会社の同僚のYさんに案内をお願いすることにしました。
東北新幹線の開業('82年10月)前ですので、夜行電車の『急行いわて』で石鳥谷駅まで行き、河原坊行きのバスに乗り継ぎました。当時でも珍しかった女性の車掌さんが乗務するバスは早池峰山の山麓の集落を巡回しながら、のんびりと河原坊に着きました。
"うすゆき山荘"に泊まったのですが、たいへんなオンボロ小屋でした。
翌日は雨で、時々雨が止むという散々な天気でした。目的のハヤチネウスユキソウは包葉が雨に濡れてペッタリしていました。それでも始めて見るミヤマオダマキなどの高山植物に感激しました。
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