2025年
3月下旬に突然腰から左膝にかけて激痛が発生しました。10mも歩くと痛くて休まないと歩けなくなりました。脊柱管狭窄症とのことで、今後はもう山に行けないかと悲惨な気持ちに襲われました。
しかしブロック注射で痛みを抑えている間にリハビリに通い、脊柱管狭窄症に効果があるとされるストレット運動も始めると、症状は徐々に改善してきました。鎮痛剤を飲む量も減ってきて湿布薬だけでも過ごせるようになると、再び山に行きたいと思うようになりました。近所にある長い階段の登り下りをしても大丈夫です。5月中旬になるとリュックに5kgの水を入れて担いでみましたが、物足りず7kgにして自宅周辺を歩いて見ましたが腰は大丈夫でした。5月下旬になると、9kgまで増やして2時間程度歩いてもほぼ痛みは発生しなくなりました。これなら足慣らしに尾瀬くらいには行けそうです。
尾瀬 (2025年6月19日〜6月20日)
ミツガシワはヒツジグサ、オゼコウホネと並んで池塘を代表する植物ですが、近年はシカの食害もあって大幅に固体数が減っています。今まで良い写真が撮れていないのですが、2023年秋に見掛けたミツガシワの池塘は撮影場所として大いに期待していました。足慣らしが目的で出掛けた前回も期待していたのですが、まだミツガシワの芽も水面には出ていませんでした。今回はミツガシワの撮影を目的に出掛けました。また、久し振りに尾瀬沼も行くことにして三平峠から入山する計画を立てました。ところが、当日になると午後は雨の予報に変わったので、大清水行きのバスの車内で予定とは逆コースに変更し、戸倉でバスを降りて鳩待峠行きの連絡バスに乗りました。
鳩待峠で天気予報を見ると雨はたいしたことはなさそうです。2週間前は見頃だった山ノ鼻近くのミズバショウの群落は白い包葉は消え、キャベツの外葉のような巨大な葉を繁らせています。ニリンソウが出迎えてくれました。山ノ鼻で至仏山を眺めると残雪は大幅に減り、燧ヶ岳には雪は全く残っていません。山ノ鼻地区のミズバショウも巨大な葉を繁らせているだけです。枯葉の世界だった湿原は緑色に代わっていました。目立たない花だったワタスゲは白い綿毛になっていました。湿原を歩き始めるとヒメシャクナゲが目立ちます。花期との巡り合わせもあって最近尾瀬では殆ど見掛けていなかったので固体数の多さに驚きましたが、花色が昔よりも薄く感じます。タテヤマリンドウも花数が増えてきました。一昨年8年振りに尾瀬に来た時から感じているのですがタテヤマリンドウの花色も昔よりは薄くなった気がします。湿原にはワタスゲの群落が広がっています。前回多かったリュウキンカやショウジョウバカマは僅かに残っているだけです。牛首で本道から分岐して北上します。東電下ノ大堀橋付近の拠水林にはズミが多く、今が花の盛りのようです。ハクサンタイゲキも結構咲いています。2023年秋に見掛けたミツガシワの池塘は、ミツガシワが咲いてはいますが、固体数はまだ少ないです。1週間位遅い方が良かったのかもしれません。ヨッピ橋を越えて東電小屋に着くと、2週間前は満開だった小屋の入口付近のミネザクラ(タカネザクラ)にはサクランボが出来ていました。小屋で小休止です。東電小屋から東電尾瀬橋までの間にある湿原は、前回はミズバショウの群落でしたが今はコバイケイソウの群落に代わっています。午後は曇りましたが雨には遭わずに見晴の弥四郎小屋に着きました。
4時に起きました。昨日は暑かったので家を出る時から半袖シャツでしたが、流石に寒いので長袖の登山服を羽織って外に出ました。この頃はまだ湿原に立ち込める霧が少なく至仏山が見えましたが、4時半頃になると霧が深くなって山はすっかり見えなくなりました。朝日は燧ヶ岳方面から登るので、うまくすれば白い虹が見られるかと期待したのですが5時頃には霧が晴れて来ました。朝食を済ませて出発です。何か被写体はないかと探しながら段小屋坂を白砂峠まで登りましたが何もありません。白砂峠付近には雪溜まりが何ヶ所か残っており、白い包葉が残ったミズバショウが咲いていました。白砂田代(白砂湿原)にはタテヤマリンドウやミツガシワが咲いていました。沼尻が近づくとムラサキヤシオツツジが出迎えてくれました。登山道脇の個体数も多いです。沼尻までは樹林帯のおかげで強い日射しから守られていましたが、ここからは直接日射しが当たるので暑さが堪えます。長蔵小屋まで来ると結構疲れてきました。尾瀬沼山荘で最後の休憩を取って三平峠を越えます。尾瀬には何度も来ていますが三平峠を越えたのは1991年と2005年だけで、もう20年もこのルートは歩いていません。1991年は普通の山道でしたが、2005年には木道になって歩き難くなったと愚痴った記憶があります。今回はその木道の整備状態が更に悪くなり、至る所で木道が破損したり朽ちたりしています。階段状の木道の朽ちた箇所をうっかり踏み抜いて転倒してしまいました。それでも何とか一ノ瀬休憩所まで辿り着きました。大清水までは、更に1時間ほど歩く必要があるのですが、2015年からは一ノ瀬・大清水間に連絡バスが運行しており、大分足も疲れたので連絡バスに乗って大清水に出ました。
期待していたミツガシワは今ひとつでしたが、前回と2週間違っただけで今まで見られなかった花に出会えて良かったです。今回も尾瀬の木道の状態の悪さが気になりました。湿原の貴重な生態系を守る為には木道は必要で、木道整備には莫大な費用がかかると思われます。金がないから整備が出来ないのであれば、費用を捻出する為に入山料を徴収するなどの対策も検討すべきではないかと思います。
尾瀬 (2025年6月4日〜6月5日)
脊柱管狭窄症の再発の恐れはあるのですが、思い切って足慣らしに尾瀬に行くことにしました。何時もは新幹線に乗るときは缶ビールを飲むのですが、服用中の薬の制約からお茶で我慢です。精神的に不安なのか乗り物を乗り継ぐ度に不安がよぎり、気分が悪くなったり大汗をかいたりして何度も帰ろうかと思いながら出掛けました。昨日までは雨でしたが、今日は天気が回復する筈が鳩待峠は曇りで至仏山の姿は見えません。
鳩待峠で荷物を担ぐと、ようやく気分が落ち着いて歩き始めることが出来ました。登山道脇にはまだ雪が多少残っているし、雲の合間に時折姿を現す至仏山には残雪があるようです。山ノ鼻が近づくとミズバショウの群落が現れましたが少し花期が終わりのようです。急いで歩いた訳でもないのですが、鳩待峠から山ノ鼻までの所要時間は52分で、ここ3年間では最短です。山ノ鼻ではようやく晴れ間が出て来ました。山ノ鼻で至仏山を見ると残雪は予想よりも少ないです。燧ヶ岳も時折姿を現すのですが殆ど雪が残っていません。温暖化の影響で過去2年間は尾瀬のミズバショウは悲惨な状態でした。今年は山ノ鼻周辺ではミズバショウが結構咲いており、この3年間では群落としての規模は大きいのですが、花期は終わりに近いようで大型で少し痛んだ包葉が目立ちます。湿原に入るとまだ枯葉の世界で、木道付近でリュウキンカが咲いている程度です。牛首から分岐して東電下ノ大堀橋経由で進みます。2023年9月に見掛けたミツガシワの池塘は、まだ季節が早いのかミツガシワの芽も水面には出ていません。ヨッピ橋を越えて東電小屋に着きました。小屋の入口付近のミネザクラ(タカネザクラ)は今年は満開で見頃です。小屋の人に話だと今年は小屋開きの頃には山の残雪は多かったが、気温が高いので雪が早く溶けてしまったとのことでした。またミズバショウも10年振りくらいに多かったが、今はもう終盤とのことです。5月中に来れば良かったのですが、その頃はまだ腰が心配でした。時間があるので三条ノ滝まで行くことにしました。小屋の人から道が悪いことやクマが出るかもしれないと言われました。赤田代を過ぎると木道は1本道になり、かなり痛んでいます。ここから熊除けの鈴を鳴らします。以前にも来たことがありますが、その時は倒木に難儀をした覚えがあります。今回は、倒木はないのですが道が泥濘んで歩き難いし、すれ違った人も2人だけです。なんとか平滑ノ滝にまで着きましたが展望台からの眺めは昔に比べて樹木が伸びてしまって殆ど滝が見えなくなっています。三条ノ滝まではまだ30分程度はあるし、先には殆ど人もいなさそうでクマにも逢いたくないので、復路も考えてここで引き返すことにしました。小屋に戻って夕食を済ませるとすることが無いので、二段ベッドの布団の上に持参したシュラフを広げ、明るいうちに寝てしまいました。
4時に起きました。腰に少し痛みと両足に多少筋肉痛が残っています。気温は4℃で小屋の外に出ると結構寒いです。朝日が当たって少しピンク色に染まった至仏山方面から時々朝霧が湧き上がります。小屋の軒先にはツバメが沢山巣を作っており、2023年は子育ての最中で昼間も親鳥が飛び回って餌を運んでいましたが、今年はまだ雛が孵っていないようで親鳥が集団で朝夕だけ飛び回っていました。腰が少し痛いので当初はヨッピ橋経由の最短ルートで山ノ鼻に戻る予定でしたが、朝食を済ませてリュックを担ぐと腰の痛みがなくなりました。そこで見晴に出て、尾瀬の本通りを山ノ鼻に向かうことにしました。見晴に向かう湿原の所々にはミズバショウの群落があるのですが昔に比べると規模が小さいです。殆ど休まずに歩き見晴十字路を経由して竜宮小屋を通過します。下ノ大堀の至仏山のビューポイントに立ち寄ります。2006年には残雪の至仏山をバックに見事なミズバショウの群落が見られたのですが、その後は至仏山が見えなかったり花期に恵まれなかったりなど撮影のチャンスに恵まれませんでした。今年は2006年ほどではありませんが、残雪の至仏山をバックにミズバショウの群落が見られました。山ノ鼻で少し休み、ピッチを上げて歩き59分で鳩待峠に着きました。今回気になったのは、木道の傷み具合が進んでいることです。特にこの1年間で、原の川上川橋付近では木道がシーソ状に跳ね上がるような状態にまで劣化していました。
登山日記の先頭に戻る
トップページに戻る