2023年

 昨年は3年間のブランクの後で那須岳に行ったのですが、今年は是非本格的な山に登りたいものです。
まずは足慣らしに尾瀬に行きました。新たな山として7月には鳥海山に挑戦しました。しかし、実質4年間のブランクが痛かったです。更には、70歳を前にして体力の衰えも実感しました。
また、春の尾瀬は温暖化の影響で雪融けが異常に早くミズバショウが咲いた後の遅霜で悲惨な状態でした。春が残念な結果に終わったので秋にも行ったのですが、大変な猛暑でした。国連のグテーレス事務総長が言うように地球環境は温暖化どころが沸騰化しているようです。
尾瀬 (2023年9月11日〜9月12日)

 今年は9月になっても猛暑が収まりません。何時もは荷物を出来る限り減らしたいので家から登山服を着て出掛けるのですが、蒸し暑いので薄い半袖シャツを着て家を出ました。半袖シャツも鳩待峠までだと思っていたのですが、鳩待峠も暑いので、そのまま湿原に下ります。木道整備用の資材を輸送中なのか、上空をヘリが何度も飛来しました。山ノ鼻が近づくとトリカブトが出迎えてくれました。この花は以前からヤマトリカブトだと思っていたのですが、帰宅後に調べるとオクトリカブトの可能性が出てきました。しかし、充分な根拠が見つからずヤマトリカブトとして当ホームページには紹介することにしました。
 山ノ鼻も暑いので、半袖シャツのまま湿原を歩くことにしました。9月の平日なので歩く人も少ないです。研究見本園の入口にはエゾリンドウが咲いていました。気温は高いのですが湿原はもう秋の雰囲気が漂っていて草紅葉が始まりかけていました。その中にエゾリンドウ、トリカブトやアキノキリンソウがポツンポツンと咲いています。池塘のヒツジグサの葉はもう黄色くなり始めていましたが、それでもまだ花を咲かせています。春に来た時はミツガシワを殆ど見掛けなかったのですが、木道脇でミツガシワの葉を結構見掛けました。季節が合えば木道脇でミツガシワをかなり見ることが出来るかもしれません。快晴で日射しが強いのでコントラストが強い写真になる上に、結構風もあるので茎の高い花を撮影するとなると花が揺れて撮り難いです。風はあっても気温が高いので半袖シャツでも汗びっしょりです。2013年9月は、もっと気温が低くて歩き易かったです。この時は、エゾリンドウは殆どが1段しか花を付けていなかったのですが、今回は数段花を付けている株が多いです。竜宮小屋でカップ麺の昼食です。竜宮沼尻川橋を渡って福島県に入ると風が強まり撮影が更に困難になりました。見晴が近づいた頃、変わったアザミに気付きました。後で調べたらオゼヌマアザミでした。見晴の山小屋の周りはトリカブトが多く、小屋がトリカブトに囲まれています。宿泊した弥四郎小屋の方もこんなに暑い秋は記憶にないとのことでした。この季節は訪れる方が少ないのか相部屋を予約しておいたのですが、相部屋に一人で宿泊です。夕食までの時間に小屋周辺を散策して、オゼヌマザザミに留まったヒョウモンチョウなどを撮影しました。夕食の時に集まった宿泊客は十数名ほどでした。部屋も暑いのですが、窓とドアを明けておくと室温は下がりました。布団の上に持参したシュラフを広げて寝ます。寝る時は少し暑かったので、シュラフを開いて腕を出して寝ました。
 明け方は腕が寒くなりシュラフに包まりました。5時に起き出して小屋の外に出て湿原を散策しましたが、半袖シャツでも寒くありません。当初は尾瀬沼経由で三平峠を越えて帰る予定でしたが、午後から雨の予報に変わりました。雨が降る頃には三平峠を越えている筈ですが、尾瀬沼までは山道なので余り花が期待出来ません。今日は曇りなので昨日コントラストが強すぎた写真を撮り直しながら鳩待峠に戻ることにしました。竜宮小屋で進路を変えてヨッピ橋経由で歩きます。このルートは暫く歩いていなかったのですが、ミツガシワが生育している池塘を3つほど見掛けました。オゼミズギク、サワギキョウやキンコウカなどの夏の花は既に終わりで、貧弱な株を数株見掛けただけでした。牛首を過ぎて山ノ鼻が近づくと再び飛来するヘリの爆音が響いてきました。山ノ鼻から鳩待峠まではカメラを仕舞って歩いたので50分で到着しました。乗合タクシーで戸倉に出て、前回よりも約1時間早いバスに乗ることが出来たのですが、沼田での接続が悪く1時間待ちです。結局前回と同じ列車で帰りました。
鳥海山 (2023年7月27日〜7月29日)

 いきなり山の話と関係ないことですが、新潟で乗り継いだ「いなほ1号」はE653系なのに村上駅発車後の交直セクション通過時に車内の照明が消えました。4年前に月山に来た時は消えなかったのですが、その後の改造によるようです。
 遊佐駅で降りた人の中で山の格好をしたのは私だけです。庄内地方も暑いです。予約した乗合タクシーは予定時間より早く来ました。遊佐からもう1人と酒田から乗ってきた1名と合計3名が乗り合わせました。大平山荘前で下車し、宿泊手続きを済ませると時間があるので、大平登山口まで様子を見に行きました。登り始めにやや急な階段がありました。周辺には何も有りません。宿の隣の鳥海山大物忌神社中之宮にお参りし、明日からの登山の無事を祈願しました。部屋は個室なのですがエアコンがありません。西日が直接当たるので、到着した時よりも午後の方部屋の中が暑くなりました。西日で部屋の中にいられないので再度登山口まで往復しました。19時頃に日が落ちて少し気温が下がりましたが、暑くて眠れず22時頃少しウトウトしただけで、暑さで直ぐに眼が覚めてしまいました。

 昨晩は殆ど眠れませんでした。3時過ぎにもう出発の準備をしている人がいます。大平口からだと最初が急登なので、鉾立まで歩いてから登るのだそうです。確かに鳥海ブルーラインは大平登山口までは登りですが、そこから先は鉾立まで等高線に沿って走っています。4km程度なので1時間もあれば着けます。また、鉾立口からの登山道の方が大平口からよりも等高線の幅が広いです。そこで、登山口を鉾立に変更して山荘を4時35分に出発しました。約1時間歩いて、鉾立で登山届けを出して登山を開始しました。石段積みの登山道が御浜小屋まで続きました。御浜小屋では鳥海湖(鳥ノ海)を背景にチョウカイアザミが沢山咲いていました。千蛇谷コースへの分岐点を過ぎると谷への急な下りとなり、谷には何ヶ所も雪渓が残っています。雪渓を渡って再び登りとなりました。登りが後半段々きつくなります。寝不足と猛暑の影響で、途中でバテて何度も休息を取り、千蛇谷分岐から小屋まで昭文社の地図の標準時刻より50分も遅れて着きました。山頂の御室小屋に着く直前の登山道でチョウカイフスマを見掛けました。小屋に着いたら入口の鳥居の脇の石に大きなチョウカイフスマの株が着生していました。暑さで喉が渇いて声も出ない状態で、生ビールを飲んだらようやく声が出るようになりました。
 小屋で一休みして体力が回復したので最高峰の新山を目指しました。カメラと水だけ持って出たのが失敗でした。道もない巨石の間を登るので首から提げたカメラが岩に何度もぶつかります。水のペットボトルもカメラの袋に入れて手に持っているので、これも邪魔になりますようやく山頂かと思ったら、岩の隙間に一度下って再度登るようです。先に登った人の声が聞こえるので、もう直ぐなのですが買ったばかりのカメラが壊れては意味がないので今日は断念して下りました。小屋の周辺を歩いたら小屋の裏手にはチョウカイフスマの大株があちこちに生えていました。昨晩は殆ど寝ていないので熟睡しました。

 寝る時は少し暑かったのでシュラフから腕を出して寝たのですが、明け方は寒くなりシュラフに包まりました。3時頃には新山か七高山で御来光を見る人達が出発し始めました。影鳥海は小屋の付近でも見られるとのことなので小屋付近で見ることにしました。日の出の時刻の4時27分になっても影鳥海は現れません。やがて山頂部の影が現れ、ゆっくりと裾野まで広がった影鳥海が現れました。当初は朝食後に新山に登ってから下山する予定でしたが、影鳥海を見たら「新山には行かなくてもいいや」という気になりました。時間を掛けて昨日と同じルートを下ります。雪渓近くまで降りてきた時に登りの登山者を避ける為に登山道の端に寄り、足を乗せた石の上でバランスを崩して千蛇谷に転げ落ちそうになりましたが何とか草を掴んで転落を防ぎました。御浜小屋では缶ビールを飲みたいところですが、我慢して水分補給の為に清涼飲料水を1本買って飲み干しました。御浜小屋からは道は楽になりますが、猛烈に暑くなり喉の渇きとの戦いとなりました。汗で水分が失われるよりも空気が暑くて乾いているので喉が乾いて水が飲みたくなります。鉾立の駐車場が見えるのですが、なかなか近づいて来ません。鉾立に着いたら先ず稲倉山荘で缶ビールを飲んで喉の渇きを癒しました。
 早く着いたので乗り合いバスを早い便に変更しました。バスを待つ間に冷たい稲庭うどんで昼食です。乗り合いバス(車両はタクシー)には他に1名が乗っていただけです。道の駅の「ねむの丘」まで行きました。展望温泉で日本海を眺めながら汗を流しました。休憩室側からは九十九島を背景に鳥海山の山頂が見えます。カメラを準備して展望室に行ったら山頂が雲で隠れてしまいました。山頂が現れるのを暫く待ちました。帰りの乗り合いバスの運転手さんに奨められた生岩牡蠣を1個食べて鳥海山の山旅を終えました。また、今回は70歳を前にして体力の低下をつくづく感じた山旅でした。コロナ禍による4年間のブランクが痛かったです。
尾瀬 (2023年5月26日〜5月27日)

 尾瀬に来るのはコロナ禍などの影響で8年ぶりとなってしまいました。上越線の普通電車のダイヤが改正され、沼田駅での尾瀬戸倉行きバスの接続時間が4分になってしまいましたが、なんとか間に合いました。以前はガラ空きだったバスが高校生で超満員です。考えてみたら現役時代は休日にしか来なかったので気付かなかったのですが今日は平日でした。バスもICカード対応されていました。数停留所先の高校を過ぎるとバスの客は尾瀬に行く8名ほどになりました。戸倉で乗り合いタクシーに乗り換え鳩待峠に尽きました。
 天気は曇りです。鳩待峠から山ノ鼻まで57分と昭文社の標準時間並みであるきました。今まで45分位で歩いていたので随分遅くなりました。曇天ながら至仏山も燧ヶ岳も良く見えるのですが残雪の量は少ないです。今はミズバショウの季節にはまだ少し早いのですが、山ノ鼻周辺のミズバショウはもう盛りを過ぎた感じで包葉が痛んでいます。湿原に入ると咲いているミズバショウの固体数が激減し、その殆どの葉や包葉が痛んで包葉は褐色化しています。湿原はまだ枯葉の世界ですが、木道付近ではリュウキンカが目立ちます。そのリュウキンカも良く見れば花弁の先が白くなるなど少し傷んでいます。逆さ燧の池塘は風があって、さざ波が立っているので燧ヶ岳の姿が映っていません。下ノ大堀のミズバショウも殆ど咲いておらず悲惨な状態です。タテヤンリンドウも目立ちます。またシナノキンバイがもう蕾をつけており花期が非常に早く過ぎています。宿泊場所の山小屋で小屋の方に伺ったら今年は雪融けが異常に早かったので、ミズバショウも早く咲いてしまい、その後の遅霜でミズバショウがすっかり痛んでしまったとのことです。20日のバス運行開始や小屋の営業開始日どころか、小屋開けに来た5月15日には既にこのような状態だったとのことです。トガクシショウマが急に心配になり、宿泊手続きを済ませすると直ぐに以前トガクシショウマを撮影した沢に向かいました。この場所はあまり人に知られていないのですれ違う人もまばらです。今年の尾瀬はクマが多いという情報なので少し心配になりました。更に細い道に入ると人が殆ど入らないせいか1本しかない木道はかなり荒れていました。人気が全くないのでクマとの遭遇の恐れがあるので少し緊張しました。2008年と2009年にトガクシショウマを撮影した小さな沢に着いたのですが全く姿を見掛けません。地形にも見覚えがあるので間違いないのですが、葉どころか芽も見当たりません。がっかりして宿に戻ることにしました。途中で雨がパラつきましたが直ぐに上がりました。小屋に着く直前にも雨が少しパラつき雷も鳴りました。小屋の方もトガクシショウマの場所は知っているようで咲いていないと伝えると驚いたようですが、早く咲いてしまいシカに食害されたのではないかとの見解でした。ベッドの布団の上に持参したシュラフを広げ、明るいうちに寝てしまいました。
 4時には起きて、周辺を散策しましたが悲惨なミズバショウを見るばかりです。小屋の軒先にはツバメが沢山巣を作っており子育ての最中でした。朝食を済ませ7時に出発しました。尾瀬の本通りに出て山ノ鼻に向かいます。今日は土曜日なのですれ違う人が昨日とは違って多くなりました。昨日は風があって山が映らなかった池塘も今日は至仏山も燧ヶ岳も良く映っています。写真を取りましたがどこでも見掛ける平凡な写真に過ぎません。最近はシカの食害で殆ど見掛けなくなったミツガシワが木道脇で数株咲いていました。山ノ鼻からはピッチを上げて歩きました。コロナ禍が終息し団体迷惑旅行も復活したようで何組もの団体客が下って来ます。マナーが悪く登り用の木道を平気で下って来るので進み難いのですが、54分で鳩待峠に尽きました。昭文社の標準時間に比べれば早いのですが、今までの所用時間よりは遅いです。年をとったせいかと思うと悲しくなりました。原発事故後、東電による木道整備が縮小されたようですが、2017年以降再開されたようで新しい刻印の入った木道が群馬県側で目立ちました。一方で福島県側の木道の整備状態は、以前は良かったのですが、今回は福島県側の整備状態が悪いのが気になりました。今まで尾瀬では携帯電話は使えなかったのですが、小屋や小屋の周辺では携帯電話が繋がるようになりました。缶ビールは8年前に比べて高くなりました。鳩待峠では臨時の乗り合いタクシーがあり、直ぐに乗ることが出来たのですが、逆に尾瀬戸倉でバスを待つ時間が長くなってしまいました。

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